環境に対する技術者の責任                2000年3月14日

                   名古屋大学文学研究科大学院生 三谷竜彦

T.ハリスらの教科書『科学技術者の倫理』の「第10章 技術者と環境」の中の叙述をもとに、環境に対する技術者の責任の現状と、その今後の展望とについてまとめたもの

技術業協会の倫理コードにおける環境についての取り扱い

ASCEの倫理コード−1977年改訂版で初めて「環境」事項が取り入れられた

規範1.f.「技術者は、一般大衆の生活の質を高めるために、持続可能な開発の諸原理を固守することによって環境を改善するよう専心す(be committed)べきである」

「すべきである(should)」−強制不可能

 「する(shall)」−強制可能

IEEEの倫理コード−1990年の改訂版で「環境」に言及

1.「技術業の諸決定を、公衆の安全、健康および福利と合致(consistent)させることに関して、責任を受け入れること、公衆ないしは環境を危険にさらすおそれのある要因を、速やかに開示すること」

 ただ「開示すること」を求めているだけで、それ以上の積極的な行動については何も述 べていない

環境への関心

・(人間の)健康に関係する関心

大気・土壌・水質汚染→発ガン物質の発生など

・(人間の)健康に関係しない関心

ダム建設→上流域における農地や森林の水没(食料・木材供給に対する悪影響)、土砂が運ばれないことによる、下流域における農地の肥沃度の低下および河口部における海岸浸食(食糧供給や景観に対する悪影響)、上・下流域における生態系の変化

自然の価値

・内在的価値

・道具的価値

上記のものを含めほとんどの技術業倫理コードが、公衆の健康を尊重するよう求めている。ところで環境を保護することは、公衆の健康を保護するために必要なことである。したがって、健康に関係する関心からする環境保護の理念は、ほとんどの技術業倫理コードの中に暗に含まれていると見なすことができる。

さらに、上記の二つの倫理コードは、健康に関係しない環境への関心を謳っていると言える。なぜならASCEの条文の中では、「生活の質を高める」ことや「持続可能な開発」について言及がなされているから。またIEEEの条文の中では、「公衆ないしは(or)環境」というように、「環境」が「公衆」とは別個に記述されているから(したがってIEEEの倫理コードのみが、(あくまで)条文の解釈上、自然環境の内在的価値を認めていると、受け取ることもできる)。

環境に対する専門技術者の責務の範囲

1.健康に関係する環境への関心を越えてさらに拡大されるべきである

人は、自分が引き起こしたことに関しては道徳上の責任がある。

技術者は、何らかのプロジェクトや活動において、良かれ悪しかれ環境に影響を及ぼし ている。

したがって技術者は、環境問題に関して道徳上の責任がある。

(ダムの建設→農地や森林の水没、河川の荒廃;化学工場の建設→環境汚染)

2.人間の健康に関係がない場合には、専門職としての責務は認められるべきではない

@環境問題に関する判断の多くは、技術者の専門的能力の領域外のものであり、したがって専門職の責任(専門職としての倫理)の及ばないものである。それはパーソンとしての道徳観の問題である。(森林を伐採する土地開発への反対;ダムや堰の建設への反対)

A人間の健康に直接関係しないような環境上の争点については、技術者の間にまだ不一致がある。したがって、そのような争点を専門職協会の中に持ち込むことは、協会内に不和を産み出すことになる。また、人間の健康に直接関係しないような環境保護という理念は、すべての技術者によって支持されるような理念ではない。自分の信念とは異なる理念を採るよう一部の技術者に求めることは、やはり避けるべきことである。

 

U.論文の抄訳2本

ENVIRONMENTAL ETHICS IN ENGINEERING EDUCATIONA MISSING FUNDAMENTAL

David GWareham and Panagiotis Elefsiniotis

概要

 この論文が検討するのは、技術者がどのような仕方で環境と関わり合うのかということである。そしてその際主張されるのは、未来の技術業も関わるべきある種のパラダイム変換の必要性である。そのパラダイム変換においては、技術者は環境の怠惰な管財人(trustee)というよりも、むしろ環境の責任ある執事(steward)として見なされることになる。そしてこのようなパラダイム変換が成就されうるのは、環境倫理学の教育によってであるが、ここで環境倫理学というのは、自然に対する一連の責務(obligation)を意味する。そして環境倫理学のトレーニングが、技術業のあらゆる教育プログラムの中で教えられる一つの基礎的な技能として見なされるべきである、ということが主張される。そして最後に、環境倫理学教育の最初のコースの概要が描かれることで、この論文の議論は締めくくられることになる。

キーワード

 環境倫理学;技術業教育;倫理コード;スチュワードシップ;持続可能な開発

 20世紀の初め、ロシアの科学者ヴェルナドスキー(V.I.Vernadski)は、人類は強大な地質学的力である、と述べた。その際彼が言及していたのは、多くの土木工学の活動であった。それはたとえば鉱石の採掘、運河やダムの建設、トンネルの掘削、山の切り崩しなどであった。山の切り崩しの最近の例、1992年12月、中国パオタイ山の噴火。この噴火は平時の爆発では歴史上最大のものであったし、広島に落とされた原爆の爆風にも匹敵するものであった。およそ1100万立方メートルの土や石が、中国チューハイ(Zhuhai)空港の拡張工事のために使われた。さらには中国三峡ダム。およそ120億ドルの費用がかかると予測。28800ヘクタールのダム湖。100万人を越える人々の移住。農地の消失。

技術業の活動の歴史には、環境の劣化(degradation)という結果に至るような、多くの開発の例がある。しかし上記の例から説明されるように、技術業は今後、今まで以上に、環境に対する絶対的に巨大な影響力を持ちうるであろう。かつての技術者は、経済発展によって引き起こされた破壊に対して、多くの非難を浴びせられてきた。そうした破壊は、エネルギーや天然資源に対する需要の増加によってだけでなく、技術者の活動によって引き起こされた生活水準の向上によっても、拡大されてきた。現在の環境危機の原因は、エコシステム(ecological system)の物理的限界をほとんど考慮せずに、エコシステムに対して経済活動がなされてきたことに、直接的に帰せられうる。制約のない開発が、将来の開発の可能性の基盤を直接的に危うくしていることは、自明なことであるが、それは(@)天然資源の過剰利用と(A)余剰物の廃棄(discharge of residuals)とによる(Hashim,1994)。天然資源の利用が増大したのは、人口増加のためだけではない。それはまた、科学技術(技術業の活動)のおかげで、人々がより短い時間内により多くの天然資源を消費することができるようになったからでもある(DuBose et al.,1994)。

 したがって現在、技術者にとって有無を言わせずに要求されていることは、開発に使われる天然資源と、開発によって生み出される余剰物との両方を、うまく管理することである。将来のあらゆる開発のための主導的な注意事項(caveat)は、世代間公正の原理(つまりあらゆる世代にわたる機会均等(Wilkinson,1993))である。この原理は、持続可能な開発という語において具体化されているが、この持続可能な開発というのは、「未来世代がそれ自身の需要を満たすことの能力を低下させることなく、現在の需要を満たすこと」であると、環境と開発に関する世界委員会によって大雑把に定義されている(1987)。経済発展と保存活動との間の緊張関係は、多くの国々によってある程度は認識されるようになってきた。そのことは、技術業の仕事における環境影響を評価するための手続きが、今や多くの国々で要求されている、ということの内に見て取ることができる。環境影響評価は普通、持続可能な開発の考えに基づいている。

技術業の教育者は、環境影響評価のコースおよび(ないしは)社会と科学技術というコースを提供することによって、答えてきた。しかし今やゆっくり到来しつつあるのが、技術者は、持続可能性という概念を推進する(promote)ような仕方で活動するよう倫理的に義務づけられている、ということの要請(mandate)である(Thom,1994)。さらに、技術業教育システムにおいて欠けているのは、ある種の倫理を生み出す力強さ(emphasis)であるが、その倫理というのはまず第一に、必然的に(automatically)人間中心主義的見方の埒外にあるように見え、環境のデータを、地球上の有機体にとっての生活の質という枠組みの中で解釈するような、倫理である。人類の利害を超えた眼差しと、あらゆる生命体を含むまでに道徳的共同体を拡張すること(Gunn and Vesilind,1986)とは、環境倫理の基盤を形成する。

環境倫理の構成要素

 科学技術による環境問題の解決は、しばしば不適切である可能性がある。なぜならそのような解決は、還元主義的な考えの中で展開されているからである。この還元主義的な考えというのは、ある問題を科学技術の用語へと還元する能力が、その問題を純粋に科学技術的な根拠(grounds)に基づいて解決する能力へと至る、と信じるような態度である。このようなアプローチに伴う困難は、汚染物質を生み出すという人間の活動のまさにその本性を、それが問えないということである。人間の行動の変化、すなわち浪費を制御する技術や、組織内での予防策などは、汚染が生じてからの救済策よりも、実際に現実的な方途であるだろう。人間の活動の本性ないしは「なぜ」に関する、価値を伴った問いは、根本的に倫理的な問いである。そうした問いは、伝統的には技術業教育プログラムの焦点ではなかった(これまでの傾向では、「何」や「いかに」の問いに焦点が合わせられてきた)。

 今や持続可能性の倫理が、技術業のあらゆる分野に行き渡るべきである、と主張されている。技術業教育プログラムの目標は、技術的な能力と環境に対する意識とを兼ね備えた技術者を生み出すことであるべきである(Hashim,1994)。持続可能性の倫理は、環境に対する責務として見なされうるが、このような責務は二つの構成要素から成り立っている。一つは汚染の予防を目的とするものであり、もう一つは汚染の救済を目的とするものである(Wareham and Elefsiniotis,1995)。前者が意味する(refer to)のは、環境影響評価や、浪費を最小限に押さえることや、ライフサイクル分析などといった概念が、分野を問わずあらゆる技術業教育プログラムの中に組み込まれるべきである、という信念である。しかしそれらの概念を単に技術業の技術としてのみ教えることは、それらの概念を技術的な手続きへと還元することになり、人間の活動の本性をほとんど問わないことになる。

 それらの概念は、ある種の哲学的ないしは倫理学的枠組みの中で教えられるべきであるが、その哲学的ないしは倫理学的枠組みというのは、経済発展および環境影響を、様々な原理、たとえば諸文化間の公正や社会的正義や環境に対する責任や、さらには人間の権利と適切な仕方で調和した、エコシステム内の諸々の有機体の権利といった、様々な原理と、絡み合わせるような枠組みである。ところで、環境に対する責任や有機体の権利といった観点は、どれも倫理学的な考察のものであるが、これは、環境を実際に配慮する方向へと技術者の思考を形成して行くような強制力として、作用するはずである。求められているのはある種のパラダイム変換である。そのパラダイム変換の中では、技術者はトレーニングによって、生物(creation)の破壊者というよりも、むしろ生物の守護者となるのである。技術者は今後、公衆に奉仕するという義務を持つだけではなく、自然界に奉仕するという義務をも持つようなものとして、その際しかも専門家としての仕方と倫理的な仕方との両方においてそういう義務を持つものとして、見なされるべきである。そしてこのことは、狭い単一世代的な眼差し(focus)から、多世代的なグローバルな眼差しへの、認識の変換を要求する。

 開発の概念は伝統的には、技術的に可能なものと経済的に魅力的なものとの間の、妥協・折衷(compromise)であった(Mena,1994)。社会的正義をあらゆる生物の権利に適用するような倫理的枠組みの内においては、今や考慮されなければならない要因がもう一つある。それはすなわち、科学技術が真に環境という根拠に基づいて受け入れられるかどうか、ということである(Mena,1994)。環境統合論的な(environmentally-integrated)アプローチが認知しているのは、専門的技術業全体が、環境スチュワードシップの諸目標をかなえる責務を持っている、ということである。

 持続可能性の倫理のもう一つの構成要素は、とりわけ汚染の救済に関係した、道徳的価値の感覚の養成である。Vesiland1994)からの次の引用は、本質的にこのことについて言及している。

 「・・・環境汚染の健康への直接的な影響は、もはや第一の関心事ではなくなってきている。小川の清らかさは、人間の健康の利益のためのみならず、小川それ自体の利益のためのものでもあるのだが、そういう意味での小川の清らかさというのが、一つの推進力となってきている。そして、直接的に人間の健康に焦点を合わせるのではなく、清らかな環境に対する我々の欲求に訴えるような法律が、承認された。野生生物の生息地の保護や、種の保全やエコシステムの安寧といったものは、資財を消費するための正当で有効な目的となってきている。人間の健康に無関係なこのような使命感は、しばしば環境倫理と呼ばれているが、このような環境倫理は、現代の環境工学における一つの主要な推進力となっている」。

 このことから見て取られうることは、技術者は、汚染を浄化する運動の最前線にあるべきだという付帯的責任を持っている、ということである。しかもその際の汚染には、公衆衛生に直接関係ないような汚染も含まれている。このような責任は、再び倫理的な命令という形を取る。なぜなら汚染の救済は、(人間の健康という利害関心からする、必要性のある活動というよりも)道徳的な活動として見なされるからである。

 環境倫理学のしっかりとした基礎教育は、大学生に対するあらゆる技術業教育プログラムにとっての基礎コースとなるべきである。ところで、以下のように問うことは有意義であろう。現在のような環境危機が生じてきたのは、環境倫理学が、技術業がその上に築かれるべき基礎というよりも、むしろ技術業にとって周縁的なものとして、歴史的に認知されてきたということに、その原因があるのではないだろうか。技術者は、環境問題を技術的な領域のものと技術的でない領域のものとに分け、技術的でない領域の方はほとんど重要性がないものであるかのように行動する、という罪を犯してきたのではないだろうか。

技術者の倫理コードの多くが歴史的に焦点を合わせてきたのは、(@)技術上の手続きが遂行されるべき仕方と(A)専門技術者が相互に関わり合うべき仕方とに関する限りでの、技術業の実践であった。しかし現在、ASCEAmerican Society of Civil Engineers)の倫理コードにおいては、持続可能な開発の重要性が認められている。他の国々の様々な専門技術業団体も、将来の技術業の開発を導くための同様の諸原理を、すでに採用しつつある。

 天然資源の減少に伴い技術者たちは、技術業の活動が環境に重大な影響を与える可能性を持っているということ、そして逆に、環境が技術業の様々な事業の未来に重大な影響を与えるということを、はっきりと理解するようになってきた。このことからして重要となるのは、技術的な問題と同様に技術的でない問題をも正しく評価することである。そしてまた、技術業の仕事がよりよくなされうるのが、技術業の正式な(formal)トレーニングが提供される場合であるのとちょうど同じように、(環境に関する)倫理的決定の作業がよりよくなされうるのは、明らかに、環境倫理学の正式な教育プログラムが、技術者トレーニングの全体を構成する必須の課程となっている場合である。今や、ある生物種の存続の倫理的価値や、あるエコシステムの維持といったものが、技術業の問題として見なされるべき時である。

結論

 技術業教育は、技術者と環境との関わり合いについてのパラダイム変換を生み出す方向へと向けて、整備されるべきである。環境倫理学のトレーニングを通じて、技術者と環境との関わり合いの新たなモデルは、技術者が、汚染の予防と救済の管理を委託された執事という資格において行動する、というような形のものとなるべきである。環境倫理学のトレーニングは、あらゆる技術業教育プログラムの中で教えられる、一つの基礎的な技能として見なされるべきである。

 

EngineeringEthics and Professionalism

Rita van der Vorst

概要

 産業および社会における技術者の役割は、産業に対する環境に関する圧力が増大していることに特に関係して、変化してきている。持続可能な開発というものが、産業における環境に関わる諸活動のための大きな枠組みを提供している。持続可能な開発へと向けた(世界的な)動きには、技術業も関わることになるが、それは「クリーンテクノロジー」を考案し取り扱うという主要な役割において、すなわち、より無害で有効で、社会にも環境にも受け入れられるような技術システムという役割においてである。この論文は、専門技術者たちが、自分たちの専門職業上の役割の範囲内でどの程度まで持続可能な開発を達成することができるのか、ということを検討し、そして持続可能な開発へと向けた動きの中での彼らの役割と責任とを、考察する。

1.イントロダクション

 技術者は、科学技術の設計者・考案者(designer)および遂行者(implementor)という役割において、我々の仕事の仕方や生活の仕方に対して影響を与えている。技術業は科学技術−「有益な目的のために原料を知的に組織化し操作すること」(科学技術はまた、環境を人間的な目的に適合させる人間的な仕方としても定義されてきた)−を用いることによって、食や住および安楽や悦楽のために機能しているが、一方否定的な面についていえば、環境に対する影響を産み出している。そして、この環境に対する影響は、積もり積もって今や耐え難いレヴェルにまで達しようとしている。技術者たちは、自分たちが科学技術の発展にとって枢要な位置にあると考えているが、しかし科学技術に関する自分たちの決定が、財政や社会や環境に対して密接な関係を持っているということを、ますます意識するようになってきている。かくして、より責任ある技術業活動に対する要求は、クリーンテクノロジー・パラダイムの内に反映されているが、このクリーンテクノロジー・パラダイムは、科学技術の発展と応用とに対する新たなアプローチを描き出している。

 この論文において、クリーンテクノロジー・パラダイムへの簡潔なイントロダクションが与えられる。このパラダイムは、環境保護に対する将来のアプローチを主導する理想的な哲学として提示されている。

 以下において、産業における環境への取り組みや、そうした取り組みの中での技術者の役割や責任について、検討がなされる。技術者は今後ますます、雇用者の財務上の福利に対してのみならず社会や環境に対しても影響を与えるような諸決定をなすよう求められるであろう。つまり、技術業の諸決定は今後ますます、技術的な含意だけではなく倫理的な含意をも含むようになるであろう。大学における技術業教育の変化に対する要求。

2.専門技術業

「技術者とは機械装置(engines)を取り扱う(work on)人である」。この「定義」は言葉の語源的意味を表現している。しかし今日理解されている技術業というのはまた、日常の様々な問題への科学技術の応用についての全体的な考察でもある。技術業は、科学技術の設計や考案(design and planning)に携わる。技術業はコミュニケーションであり問題解決であり意思決定であり、社会の要求や欲求の充足という目的を持ったデザインである。「専門技術業」という語は、技術業についての前者の解釈から後者の解釈を区別するために新たに作り出されてきた。したがって専門技術者とは、科学技術システムを取り扱い、それを「社会の最善」のために利用する有能な専門家である。そして「技術業の究極の目的は、技術的な知識や技能や判断を賢明に応用することによって、人間のさらなる目的のために自然界を変容させることである」。

 専門技術業は絶えず変化し続けている。中でも、事業はますます複雑化しているが、そのことに対処するために、個人の強い責任感と良心的な振る舞いとが必要とされる。つまりビジネスにおける様々な変化の結果、新たな技能、心構え、人格的性質を持った、新たなタイプの技術者が求められているのであり、高い水準の人格的完全性(integrity)が、あらゆる技術者に要求されているのである。

 そうした様々な変化は技術者に対して、そして技術者の教育およびトレーニングに対して、新たな要求を与えている。意思決定に対する責任を持った技術者が必要だという主張が、今や持続可能な開発についての議論を通じて提起されている。環境や社会に関する考察が、ますます注目されるようになってきている。

3.持続可能な開発と技術業からの応答

 1987年に、環境と開発に関する世界委員会が、世界的規模での持続可能な開発の必要性について、その概略を示した。それ以来産業に対して、浪費を最小限にとどめ、原材料やエネルギーの消費効率をよくし、自らが産み出している汚染を浄化するよう、圧力が強まってきている。とりわけ、大企業はそうした圧力を受けて、持続可能な開発へと向けて、各企業ごとに独自の戦略を開発し展開してきた。かくして、ここで提示された計画案(scenario)の大きな影響を受けた仕方で、ビジネスはこれまで展開してきているし、また技術者の役割も変化してきている。

 「持続可能な開発」というのは、社会(および産業)における必須の課題である環境問題の解決に対する、一つの可能なアプローチを描写するために、生み出された語である。これまで持続可能な開発というのは、環境保護論者とビジネスとにとっての共通の目標を作り出すための試みとして、見られてきた。したがって、その概念の定義は曖昧にしかなされていない。

 環境と開発に関する世界委員会の報告書『我々の共通の未来』(1987):

 (持続可能な開発というのは、)「未来世代がそれ自身の需要を満たすことの能力を低下させることなく、現在の需要を満たすような開発」(である)。

持続可能な開発が意味しているのは、ある種の変化の過程である。その「変化の過程の中で、天然資源の開発や、投資の方向(direction)や、科学技術の発展の方向付け(orientation)や、制度的(institutional)変化が、すべて調和し合い、そしてそれらが、現在および将来における、人間の要求や要望を満たす可能性を、高めることになる」のである。

 持続可能は開発は、科学技術の急速な発展に対する、すなわち自然への依存から科学技術への依存へという依存についての認識の変化に対する、適切な反応として議論されてきたし、また自然環境がますます消耗してきていることに対する、そして社会への負の影響に対する、唯一の適切な反応として議論されてきた。持続可能な開発が狙いとするのは、福利と生活の質である。持続可能な進歩は、現在の需要も来るべき世代の需要も同じように考慮しなければならない。また持続可能な進歩の中には、生活の質が開発を通じて絶えず向上し続けるべきである、という含意がある。

持続可能な開発というのは、それが技術業に応用されると、環境および社会に対する技術者の倫理的責任を強化することになる。持続可能な開発は、それが次のことを意図する場合、技術者に対して様々な付加的価値を与える。

・経済発展と並んで環境を尊重する(value

・現在世代と同じように未来世代を尊重する

・富者と同じように貧者を尊重する

・物質的成長と並んで社会的公正を尊重する

かくして持続可能な開発は、文化的な変化に依拠する。しかし、持続可能な開発は容易には実行されえないので、科学技術の応用に狙いを特化した哲学(ないしはパラダイム)が、これまで論じられてきた。

 クリーンテクノロジーというのは、持続可能な開発における科学技術に関わる面に焦点を合わせたものだが、このクリーンテクノロジーは、「全体的に見て(overall)他の手段より消費する資源が少なく、また環境に与えるダメージも少ないような、人間的利益を供給する一つの手段」として、定義されてきた。

 クリーンテクノロジーないしは予防的技術業は、持続可能な世界における科学技術の設計および遂行にとっての、技術的および哲学的指針を与える。その際予防的というのは、「環境問題の根本的原因に対する攻撃」を意味する。かくしてクリーンテクノロジーの哲学は、生産システムの設計を指揮・指導する(direct)。

 クリーンテクノロジーが特に必要とするのは、科学技術の変化を管理・推進する者(driver)としての、また科学技術の適切さを評価する者としての、技術者である。

4.技術業における倫理的問題とクリーンテクノロジー

 雇用されている専門家は、自分が責任を有するあらゆる仕事において、公衆および同僚の安全や生命や健康を、十分に考慮すべきである。ある工程ないしは製品の技術上の適切さが問題となっている場合には、専門家は、一般に受け入れられている専門職業基準(professional standards)を満たさないような計画を認可しないことによって、また自分の専門家としての判断が採用されない場合に予期されうる様々な結果をはっきりと提示することによって、公衆および自分の雇用者を守るべきである。

 このことは、IEEEによって認可されている、その構成員向けの行動コードの一部である。同様の要求は、例えばイギリス技術業協議会の専門職業実践コードによって、専門家に対して提示されている。イギリス技術業協議会は、技術業組織世界連盟(the World Federation of Engineering Organizations)によって起草された国際倫理コードに基づいて、1993年に専門職業実践コード「技術者と環境」を発布した。その付属文書である、環境問題に関するガイドラインの中で、「技術者は、決定や判断をする際の枠組みを変化させるよう求められている」、ということが提案されているが、それ以上に重要な提案は、技術者の知識や技能が、以下のことを保証する(ensure)特別な責任を技術者に与えている、というものである。

・環境問題についての彼ら自身の認識はできる限り正確である

・彼らは、ある問題についての様々な局面を分析することができ、またその問題に全体として取り組むことができる。

・彼らは、政府やビジネス界や学会や環境保護論者や一般大衆と密接して(closely)仕事をする。他の人々が問題をどのように認識し、環境に影響を与える決定をどのようになしているのか、ということを理解することによって、解決法を編み出すために協働することがより容易になる。

・彼らは、各個別的状況にとっての最も適切な解決法を常に見極めるために、いわゆる「ハイテク」の応用(たとえば光電池)と「ローテク」の応用(効率的な木炭ストーブ)との間のバランスを確立する。

 上で言及したパラダイムと同様に、技術業協議会によっても技術者たちは、自分たちの仕事の持つ社会および環境に対する密接な関係を考慮するよう求められているし、また自分たちのなした決定に対する責任を引き受けるよう求められているのである。

 以上見てきた行動コードの二つの例によって、責任ある倫理的振る舞いに対する要求について、その概略が描かれているわけだが、これには以下のことが含まれるだろう。

・社会および環境に対して引き起こされる結果について考慮すること

・有害だと思われるようなプロジェクトを支持しないこと

・雇用者および公衆に対して、生じうる危険を告げ知らせること

 倫理的振る舞いについての決定は、価値体系に基づいてなされる。プロジェクトの評価における普遍的な価値は、たとえば有効性や合理性や費用効果(コストベネフィット)や安全性や需要の充足などである。それと同時に技術者は、信用や誠実さや信用に足ることや、未来世代を含む人間の生命および福利に対する配慮や、公正さや率直さや適性(competence)などを、重視すべきである。そして持続可能性についての議論が、すなわち環境問題を考慮するという新たな要求が、このカタログに対して以下の質問を付け加える。

クリーンテクノロジーにおける質問:

「それ」はどこから来るのか

「それ」はどこへ行くのか  

いったい私は「それ」を使う必要があるのか

いったい私は「それ」を作る必要があるのか

5.技術者の役割の変化と教育に関する必要

産業における現在の様々な変化は、産業に対しての環境に関する圧力が依然として増大し続けていることと結びついているのであるが、そうした産業における現在の様々な変化は、新たなタイプの技術者の必要性を際だたせている。従来の研究が示してきたように、現在の技術業教育を受けた卒業生(graduate)は一般的にいって、未来の雇用者によって提示される諸要求に対して、最善の準備はできていない。今日すでに、伝統的な諸限界を超えて仕事をすることのできる技術者が、必要とされている。技術業の意思決定プロセスの中に、技術以外の問題を統合することと、環境保護についての考慮への取り組みに対する、新たな創造的なアプローチとが、上述のクリーンテクノロジー・パラダイムによって要求されている。その際経験と成熟も重要であるが、技術業教育に普通(教養)教育を含めるべきだという強い主張がある。このように技術業教育カリキュラムの中での強調点の変化にともなって、技術業教育における教授および学習のアプローチは、改められる必要がある。

 技術業教育プログラムにおける倫理学および哲学の用意(provision)にとっての一つのよい例は、ロンドンのインペリアルカレッジ人文学部によって与えられている、工学部学生(engineering students)に対する選択コースの用意である。工学および自然科学の学生は、人文学部によって提供されている選択科目の内、一つないしはそれ以上を履修することができる。さらには、「科学と工学における倫理学」についての討論会も準備されている。

6.要約と結論

 技術業および産業組織における様々な変化は、技術者の役割に対して影響を与えている。技術者たち、少なくとも専門技術者たちは、その定義上常に、自分たちの活動に対して個人的にも専門家としても責任を有してきたが、上でその概略が描かれた環境開発(environmental development)が、倫理に関してさらに強調するようになっている。クリーンテクノロジーというのは、持続可能な開発についての議論に対する技術業からの応答であるが、そのクリーンテクノロジーのパラダイムは、産業界に徐々に浸透していっているようである。しかし技術業の役割に対する同様の影響は、技術業のプロジェクトがますます複雑化してきていることや、産業における階級関係(hierarchies)の平板化によっても、産み出されてきた。技術者は今や、価値評価や意思決定に対する責任に直面しており、そして専門家としての仕方で自信を持って活動するよう要求されているのである。