理論化学の役目 3

知的な材料設計

人と技術以外に資源を持たない日本は、高付加価値の製品を効率よく、環境に負担をかけずに作ることを望まれています。今迄は望みの機能を持つ物を、莫大なエネルギーと時間を使い、試行錯誤で開発してきました。しかし私達は現在物の性質を支配する法則を知っており、試行錯誤することなく的確な設計が出来るようになりつつあります。医農薬と合金の開発例を見てみましょう。

一つの医農薬の開発には、十年の年月と百億円の研究費が必要で、二万個の化合物の薬効を調べる必要があります。以前は過去の経験に基づいた、試行錯誤の繰り返しにより行われましたが、開発の成否が企業の死命を制するため、現在では全企業が計算機を用いた薬物設計システムを持ち、開発の合理化を行っています。

図a: 偶然発見された抗うつ作用を持つ分子。RやXは置換基と呼ばれる、原子が決まった方法で結合した集団。置換基により抗うつ作用が変わるので、理論(構造活性相関法)で最適なものを決める。 図b: 抗菌作用を持つ分子。置換基Xの位置、数、種類により抗菌作用が変わる。

口から投与された薬は胃腸から吸収、輸送され、目的地で薬物受容体という蛋白質に結合し効果を生じ、その後分解排泄されます。薬はちょうど鍵が鍵穴に入るように受容体に結合するので、受容体の構造が分かれば薬は設計できますが、殆どの受容体の構造は分かっていません。幸い受容体の構造が分からなくても、薬は設計できます。薬物設計には薬効を持つ分子骨格の設計と、骨格上の原子集団(置換基)の選択、最適化の二段階があり、二段目の選択、最適化の段階では構造活性相関という方法が広く使われています。例えば偶然発見された抗うつ作用を持つ分子(図a)の置換基を変えた分子を作り、睡眠薬とともにマウスに与え、眠らずにいる量を調べると、物理的な性質である置換基の疎水性や電子吸引性を示す値と、簡単な一次関係となりました。また抗菌作用を持つ分子(図b)の置換基を変え活性を調べると、置換基の疎水性、大きさ、電子吸引性を示す値と、簡単な一次関係となりました。この結果最大の活性を持つ分子の構造が決まりました。

この様に医農薬の活性は、分子の物理化学的性質により支配されていて、薬の吸収輸送や作用機構が未知でも設計は可能です。現在では理論を用いて、受容体の構造から薬を設計したり、骨格自体の設計や、分子の構造から物理化学的性質を予想し、薬効の予想等が研究されています。現在では、ロボットが実験した大量のデータを、機械学習で学習する事なども、試みられています。

一つ一つの金属は目立った点は無いのに、混ぜ合わせると素晴らしい機能を示す事が有ります。例えばさびやすい鉄に、少量のニッケルとクロムという金属を加えると、さびないステンレスが出来ます。この様な合金は普通数種から数十種類の金属を混ぜて作られますが、その組成も以前は試行錯誤で決めていました。現在では種々の条件で安定な合金の組成を予想でき、これを使ってニッケル耐熱合金や、チタン合金が設計され、ジェットエンジンや工業プラントで使われています。