名古屋哲学フォーラム2016秋のお知らせ

 はいみなさんこんにちは。夏休みはいかがですか。さあ9月はみなさんお待ちかねの名古屋てつがくフォーラムですよ。これ、はじめてシンギュラリティやるんですよ。みなさんはじめて、フォーラムでシンギュラリティ論お聞きにになるんですよ。シンギュラリティ何でしょう。あのね、人間よりずっと賢い電子頭脳できる日のことですね、はいー。そういう電子頭脳でてくる映画たくさんありますねー。『ターミネーター』。シュワルツネッガーでてました。アーノルト・シュワルツネッガーでてました。どこまでもどこまでもどこまでも、追いかけてきますねー。上半身になっても、腕だけになっても、あの、リンダ・ハミルトン。リンダ・ハミルトンおっかけておっかけておっかけるところ。怖かったねー。でも、『ターミネーター』、もう一つ電子頭脳でてきます。スカイネット。これがターミネーターつくりました。ただでもみなさんより賢いのが、自我に目覚めるんですね。で、人間は敵だと考えちゃうんですねー。だから、スカイネットは決めました。人類を滅ぼそう。そう決めましたねー。それで、ターミネーターつくりました。人間が作った電子頭脳で人間が滅ぼされる。まあー、このことのこわさ。い・か・に・も、ゾッとしますねー。
 そうねー。でも、このあたり、もっと考えなけりゃイケマセン。このシナリオホントにホントかしら。リアルかしら。そのところ考えなけりゃいけません。そこで、今回はシンギュラリティやることにしました。「人工知能とのほどよい付き合い方―シンギュラリティ後の法、経済、倫理」って題ですね。長い長い長い題です。そして、あのね、登場人物。はい、これが豪華なんですねー。まず、井上智洋さん。この方が、シンギュラリティ後の経済についてお話しくださいます。それからシンギュラリティと法・制度について考えてくれるのが、赤坂亮太さん。哲学代表が、西條玲奈さん。この人がシンギュラリティと倫理についてやります。それから、今回はコメンテーターもいるんですね。豪華ですねー。はい、コメンテーターお願いしました。これが大澤博隆さん。ヒューマン・エージェント・インタラクションがご専門で、最近は人工知能に人狼ゲームをプレイさせてます。そうねー、人狼も怖いですね。たくさん映画作られました。『倫敦の人狼』『ハウリング』『ウルフマン』…たくさん作られました。はい、みんなみんな怖いですね。
 さあ、もうこれ以上は申しませんね。これからますます面白くなるんですけどそれはもうしません。はい、もう時間きました。それでは9月をご期待ください。じっくり楽しんでくださいね。さよならさよならさよなら。



以下、各提題者の発表要旨です。


「シンギュラリティと法的責任―民事責任を中心に―」

赤坂亮太(慶應義塾大学)

シンギュラリティが現実のものとなるかならないかにかかわらず、AIやロボットは、一定の法的問題を引き起こすものであるという考え方がある。特に、その自律的な振る舞いにより何らかの損害を生じさせてしまった場合に、人間がその因果系列に深く関与しないことから、誰がどのような範囲で責任をとるべきなのかといった議論はその典型的なものである。 本講演においては、ロボットやAIが引き起こすとされる法的問題についてCalo(2014)らの議論をベースに概説したのち、特にAIやロボットによる事件が起こった際に最初に問題になるであろう民事責任を中心に、ロボットやAIに関する法的責任について論じたい。

「汎用人工知能は資本主義経済をどう変えるか?」

井上智洋(駒澤大学)

「人工知能は人々の労働を奪うか」といった問題が最近注目を集めている。このような問題を論じるには、人工知能を「特化型人工知能」と「汎用人工知能」に分けて考える必要がある。音声アシスタントのSiriや検索エンジンのGoogleなど今ある人工知能は全て「特化型人工知能」である。
汎用人工知能は、人間の脳と同じように様々な知的振る舞いをこなすことのできる人工知能であり、この世にはまだ存在しない。しかし、2030年頃には汎用人工知能の開発のめどが立つと言われている。
既存の人工知能である特化型人工知能が雇用に及ぼす影響は、これまでの耕運機や自動改札機などの機械とそれほど変わらない。しかし、汎用人工知能は今ある資本主義の経済構造を抜本的に変革してしまう恐れがある。人々の労働のほとんどを根こそぎ奪う可能性があるからだ。
今の資本主義を「機械化経済」と呼ぶのであれば、汎用人工知能によって可能となる経済を「純粋機械化経済」と呼ぶことができる。後者は、労働者の介在なしに機械が自動的に財を作り出す極度にオートメーション化された経済を意味する。2030年頃に汎用人工知能が登場するならば、その時から徐々に純粋機械化経済へと移行していくものと予想される。
純粋機械化経済では労働者の収入がなくなり、資本家以外食べていくことが難しくなる。このような経済に妥当な政治制度はいかなるものか。ソ連型社会主義だろうか。ベーシックインカムだろうか。未来の経済、政治、社会のあるべき姿について論じたい。

「シンギュラリティ後の人類が傷つきやすさの悪循環に陥ることを防ぎ、自律的かつ真正な生を送るための穏健なる倫理学的提案」

西條玲奈(北海道大学)

「シンギュラリティ」とは人の作り出した機械が人よりも優れた知性を獲得する段階を指す言葉であり、しばしばその機械がさらに知的に優れた後続する機械を作り出す状況と併せて言及される。Chalmers(2010)で論じられるように、シンギュラリティが概念上も実践上も真剣な考慮に値するならば、人より知的な機械の登場が人の倫理的状況に与える影響の有無もまた問題となるだろう。本稿ではこの問題を、シンギュラリティ後の社会において人が新たにさらされる傷つきやすさ(vulnerability)の問題として論じたい。傷つきやすさとは、病気、傷害、自然災害、社会的孤立、貧困、差別など、人が自分の信念や欲求にもとづく行為を妨げる危害の被りやすさのことである(Mackenzie et al, 2014)。ここで論じる問いは以下の2つである。(1)人の傷つきやすさにとって知的な機械の登場による恩恵や脅威は何であるか。これらはいずれも、人が社会生活の中で知的な機械に依存する度合いが強まるゆえに生じると考えられる。(2)その結果生じる不利益から自分たちの利益を守り自ら管理する方法は何か。これを検討するには、人のあいだでも特定の個人や集団だけが被りやすい傷つきやすさへの対処法から示唆を得られると考えられる。これらを通じ、現在の時点でわれわれがどのような倫理的問題を考えるべきかを明らかにしたい。

今回の名古屋哲学フォーラムは、科研費基盤B「シンギュラリティと人類の生存に関する総合的研究」(代表者:戸田山和久)による研究活動の一環として開催されています.